自己紹介

 

タロット占い講師  Reiko

主な占術:タロットと心理占星術でのカウンセリング&コーチング

 

講座にこめた想い

このタロット講座に込めた動機についてお話させてください。

『こころに調和を。地球に平和を。』という事をコンセプトに、

タロット占いを通して、自己受容・自己実現を可能にする智恵を、

世の中に広く伝えていくことを目指しています。


幼い頃はタロットや占い好きな少女でした。やがて色々とあり、

看護師勤務や在宅でのネットショップを経営していた私が、

なぜ、タロットを教えるようになったのか・・


これまで、自分自身を癒すために学んできた万物の法則、カウンセリング技術、ヒーリング技術などを、家族や知人のために、生かすようになり、

やがて、かつての私のように、出口を探してさ迷っている人の力になりたい。

そういう思いが強くなっていきました。


自分をすきになれる、
他人との違いを素直に受け入れられる、
こころが軽くなる、
人生が楽しくなる・・

そのようなことが可能になる素晴らしい智恵を、不自然にではなく伝えられる方法はないかな、、と、考えて考えて、

ある日、タロット占いとまた再会を果たすことになったのです。


タロットカードは、物心ついたころから親しんでいたものでしたが、

やはり、なかなか読めないし、怖いしで、随分と手放していたのです。


このきっかけから、またタロットと真剣に向き合い出すことになるのですが、

タロットに詰まった多くの智恵には、私が学んできたこの世の法則が、

随所に込められていることを改めて認識したことで、タロットに戻ってきた

意味が判った気がしました。


そしてタロットは、私の人生の心強い相棒となりました。


あなたは、タロットカードを学んだ技術で、なにを伝えていきたいと思っていますか?

今一度、そのこころに確認してほしいのです。

人々を幸せに導く事が出来るタロット占い師としてのあなたは、

カードのメッセージに、どのような想いを載せて伝え続けていくのでしょう。


その動機こそ、あなたの揺ぎ無い原動力となって、多くの人を幸せにし、

一生あなたを支え続けてくれるものとなるでしょう。

 

マイヒストリー

1968年 福岡県甘木市にて、2人姉妹の長女として生まれました。

2歳になり福津市に移り、両親、妹、父方祖父母と暮らしていました。

わたしは幼少時代、女ガキ大将のように、年下の子を引き連れておてんば振りを発揮していましたが、同時に、漫画とイラスト、歌と占いが大好きな夢子のような少女でもありました。

小学生になっても相変わらず気質は変わらず、近所の子ども達やクラスの子達に、自分が企画した遊びやボランティア活動の詳細を書いた紙を配布して活動に誘ったり、すきま時間があればイラストを熱心に書いていました。

ところが、小学校4年のある日、突然がらりと心境が変化します。訳もなく家族とも口をききたくなくなり、心を閉ざし、学校でも目立たないように過ごすようになります。

先生からの質問には、間違っていたらどうしよう・・という不安と恥ずかしさで答えられなくなり、まるで別人のようになっていきました。

担任が見るに見かねて、朝のバレーボールに誘ってくれましたが、スポーツが好きではないことから、すぐにやめてしまいました。

その後も、なにかにつけ先生の自宅に数人のクラスメイトたちと呼ばれ、手作りの食事を振舞ってもらい、外食に連れて行ってもらったりしました。

当時、先生宅に呼ばれていたメンバーを思い返すと、その子なりの課題を持っていた子たちだったんだと、大人になって気づきました。

 

タロットカードとの出会いは小学6年生。マイバースディという占い雑誌の付録でした。ひとりもくもくと占いにのめりこんでいました。

中学生のころは夢中で友人や自分のことを本を見ながらよく占っていました。

高校生以降は、もっぱらお洒落やメイク、恋愛や遊びに忙しく、次第にタロットや占いから遠ざかっていきました。

 

 

幼い頃のわたしたち姉妹は、父から役割として家中の拭き掃除が与えられていました。しっかり出来ていないと怒られてやり直しをさせられました。

父さんがすきか?母さんがすきか?

髪を父に洗われながら聞かれるお決まりのフレーズ。

即座に母!と答える妹は、かわいくないというように、力任せに頭を洗われていました。

私もそういいたいけれど、父が悲しむのでいえないと思っているというのに・・、痛い思いもするのに、よくはっきりいえるな・・と内心感心してもいました。

両親が険悪な状況となれば、父と母のどちらかに味方するかを求められ、生きるために仕方なく片方につけば、片方の親に疎ましがられる生活。

ある日、父の言われたとおりに出来なかった私は、「れいこは役に立たん」といわれ、幼心に相当ショックを受けます。

それからは、特に父に気に入られなければいけない、役に立つと思われたい、それが私の生きるモチベーションとなりました。

何もない普通の日は、虫も殺さないように優しい父。リビングのテレビの横から小さな顔を出してちょろちょろするねずみにまで、米粒を置いてあげる父。

そんな父にほめられるように勉強も頑張り、「やれば出来るな、れいこは」と、頭ををぽんぽんとたたいて褒めてもらえることが、私の唯一の安らぎのときでした。

あの幼い頃からずっと痛めていた心の傷が癒されていくかのように錯覚している自分がいました。



社会人となり、自由に羽ばたける羽根を得た私は、親元を離れるために、一気に家を出て独り暮らしをはじめます。

羽目を外しすぎ、色々と遊びすぎた結果、家族に迷惑もかけ、ふとちゃんとしなくては・・という思いにかられます。

その後、ニチイ学館の医療事務講座に通学し、2級試験に合格します。

早速、地元の整形外科医院の受付兼医療事務で採用され、すぐに環境に馴染む事が出来て、楽しく働きました。

そんな中、入院患者さんと看護師さんの話す雰囲気を羨ましく思い、看護師になりたかった子どもの頃の夢が蘇るのでした。

そして、某美容会社の美容部員の募集に目が留まり、メーキャップアーティストに憧れた頃の思いが強く働き、医院を退職します。

このあたりで医療と美容の分野で活躍していきたいという理想の将来像を強く意識するようになります。

そして、美容部員をしながら、ようやく美容と医療を融合させた将来性ある職場を見つけて転職します。

そこは芸能関係とも関連していたので、広報も担当させてもらえ、毎日が輝くほど楽しかったのですが、突然あっけなくその道は閉ざされます。

20歳の私の顔の3分の2が、ある事件をきっかけに、火傷を負ったようにケロイド状態になってしまったのです。

約1年間、実家に戻り、一歩も外へ出られず、仕事も出来ず引きこもる生活をします。

両親とも殆ど話さず、部屋でドリカムのカセットを一日中聞いていたことしか思い出せないほど、空白の期間を過ごしていました。

ある日、このままではいけない・・と傷は癒されないまま、自ら顔を上げます。新聞の求人欄に掲載されていた住み込み見習い看護師の求人をみかけて、中学生の頃になりたかった看護師への夢を思い返します。

私には、医療がまだ残っている・・

立ち直る気力を取り戻せてきた私は、このままでいるリスクを恐れていました。看護師さんに助けてもらいたいという希望、すがる思いもありました。

右も左もわからず飛び込んだ看護師見習い。共同の水周りに4.5畳の畳がブカブカする古い看護師寮で更にすさみそうな気力を、私はこのような場所で終わる人間ではない!と、自分を鼓舞して過ごしていました。

その個人医院の病室のベッドで、私が受けた傷と似た被害を受けて治療している女性と、入社後すぐに出会います。その女性に、一瞬で自分を重ねていました。

自分がこの人の顔を治す!

自分が体験して学んだ教訓をもとに、懸命に治療の手助けをしていく過程で感謝され、私の心とケロイドが残る顔を徐々に受け入れる準備ができていくのでした。

やがて、見習い看護師を卒業し、奨学生で働きながら看護学校に入学、卒業後お礼奉公を2年して進学します。

私以上に過酷な状況にいる患者さんに精神的に支えられ、厳しく生死と向き合う中で、次第にスピリチュアルな思想にも関心を抱くようになっていきます。

『生きるとは』『人生とは』『苦難の意味とは』という事を意識するようになり、心理学や哲学、自己啓発本を読みあさる日々を送ります。

 

 

多忙でストレスフルな生活を送っていましたが、弱音を吐いたり、甘えたりする事が出来なかった私は、気合で乗り越えることしか選択肢を持ち合わせていませんでした。

きついのに、これが当たり前だと言い聞かせる自分、

思ってもいないことを我慢してしている自分、

損なことばかり引き受けている自分・・

なんでわたしはいつもこうなのだろう。優しすぎるのか、気が弱いのか・・

いつからか、相手優先に考えてしまう気質になった私は、心と体を不安定にさせながらも、希望を失わず出口を見出そうと足掻いていました。

若さゆえに無理がきき、苦労を当たり前に捉えながら、心身の悲鳴に耳を傾ける事なく、激務をこなしていました。

むしろ、それをこなせている自分が誇りでした。

私は人の役にたっている・・



看護進学校2年、29歳のとき、更なる苦難が私に降りかかります。

信頼していた医療機関においての医療ミス。心の傷をまた負う事件が起こります。

当たり前に出来てたことが突然できなくなり、医療に携わりながら、医療を信頼できなくなるというジレンマに襲われます。

このまま看護師の国家資格をとる意味があるのだろうか・・

しかし、応援している父に報告しなければ・・という思いもよぎります。

心身の葛藤に追い詰められながらも、諦めることも出来ず、厳しい実習、受験勉強を乗り越え、看護師免許を手にします。

その後配属されたホスピス緩和病棟で、多くの懸命な生き様を目の当たりにします。

人は弱い、皆弱い、その弱さを受け入れて寄り添い生きる事が力になる・・



崩れそうな心を救ってくれたのは、ホスピス病棟の人々と、程なくして出会う今の主人でした。

主人と出会うことで、生きる希望が湧いてきたことが助けとなり、私から主人に結婚を迫り、出会って半年で入籍をしました。

その半年後、孫の顔も見ることなく、父は肺がんでこの世を去ります。長い期間母が自宅で看病をしましたが、最後の2ヶ月間は、母と仕事を休職した私とで、四六時中、病院に寝泊りして付き添い、皆で最期を見送りました。



30歳過ぎての待望の妊娠。退職後、子育てしやすい環境に引越しをして出産します。

キャリアアップを図りたかったことと収入を得るために、すぐに保育園に預けての職場復帰を望みました。

しかし、過去の無理が産後の回復を遅めたのか、とうとう身体は悲鳴をあげ、壊れだします。甲状腺機能亢進症様症状、更年期様症状が現れるようになりました。

めまい、ふらつき、のぼせ、発汗、動悸、息切れ、倦怠感、不安感・・

幾つかの病院に見てもらっても、検査結果に異常なく、自律神経失調症との診断のみ。

それでも、生活のために無理をして近所でパート勤務をはじめたクリニックでは、10段程度の階段を上るのにも息切れがし、動悸が止まらず勤務中に倒れることもありました。しかし、やはり治療後の心電図や心臓のエコー検査は異常なし。

待ったなしの育児も心身に追い討ちをかけていきます。

次第に外出も出来なくなり、日に日に酷くなる一方の体調に、仕事もやめざるを得なくなり、職を失います。

家計をささえるためには、私も働かなくてはならない。こうしてはいられない。

そこで、必要に迫られてはじめたのが、ネットビジネスでした。



 

ネットオークションにはじまり、独学で製作したインテリア雑貨をネット販売します。

身体が社会に適応しない今、恐らく将来も社会復帰できないだろうと考え、自宅で収入を得る方法を模索した結果でした。こんな世界があり、自分次第でなんとかなるものだと自信がついていきます。

しかし、その一方で、看護師に戻れない自分を、脱落した人間だと思う自分もやはりありました。これは仮の自分なのだという思い。

本当の自分はどこにいるのだろうか・・

美容も医療もなくした私に、他に生きる道がみつかるのだろうか・・

 

私の創る雑貨を求めてくれるお客様の存在に、役に立っているという思いでかすかに自信が蘇ってはきましたが、それでも、相変わらず体調は最悪でした。

日増しに酷くなる自覚症状。誰にも理解してもらえない苦しみ。なんとなく、このまま何もせずにいけば、程なくして倒れるだろうという予感がしていました。

あるとき、覚悟を決めたが自分がいました。

どうせ長くないなら、たったひとつでも勇気をもって自分に誇れるものを得る事が出来た母だったと息子に残したい。

思い浮かんできたのは、過去に受けた数々の心のトラウマでした。

散々逃げてきた、このトラウマを乗り越えて、まっすぐに生きていきたいと決意し、トラウマを呼び起こす場所へと出向く決心をします。

子どもを保育園に預け、家族が困らないように様々な手続きについての手紙をしたため、いつどうなってもいいようにして向かいました。

崖から飛び降りるような思いで挑み、やっとの思いで乗り越えたわたしは、出産直後の心境にも似た恍惚感と爽快感を味わっていました。

心身がまるで空っぽになった気がしました。

その数日後、運命的なシチュエーションで食事療法と出会うことになります。

今までわたしを苦しめてきた長年の体調不良は、その翌日、起床した瞬間から体が温かく、軽くなっているのを実感したのです。

うそでしょ?たったこれだけで・・?

日を追うごとに辛かった自覚症状も穏やかに改善されていきました。ついに生き地獄から脱出することができたのです。

何が起こったのか?? 当時の私には謎だらけでした。

今ならそのからくりが言葉で全て説明することができますが、当時は魔法にかかったかのような毎日でした。

そして、その後はその食事療法のインストラクターの資格を取得しようとますます生きる喜びに満ちていきます。

そして、体調を取り戻した私は、また看護師へと舞い戻ります。

救命救急の看護師を目指し、救急病院に就職します。毎日がめまぐるしくすぎましたが、心身は健康そのものでした。看護師として生きていることに自信がみなぎります。全てはうまくいっていました。

オーガニックに目覚めた生活の中で、本当の自分探しを本格的に始めていくようになります。

 

 

出会う人たちは皆スピリチュアルな人たちばかりで刺激的でした。いつも私の心を癒したり、喜ばせ、驚かせてくれたりしました。

その中のひとつに、身体的に潜在意識にアプローチする方法と出会い、こころを掴まれます。ここから、潜在意識を追及するきっかけを得て、更にのめりこんでいくことになります。

その後、無意識に関する様々な種類のカウンセリング、ヒーリング、セラピーなどを、セラピー仲間から影響をうけて数珠繋ぎに学び続けます。

やがて意識は、西洋医学から東洋医学、統合医療の分野へとシフトしていきます。

自らの心身を回復させるべく学び続けた様々な癒しは、その後、母のがん克服の場面で大いに生かされていくことになります。



2011年2月末、ステージ4の母の虫垂がん、子宮体がんが発覚します。

当時、ACLSの資格を目指していた私は、母の看介護に専念する覚悟を決め、総合病院を退職します。

15時間にも及ぶ手術、縫合不全を無事に乗り越え、6月に退院。その3ヵ月後には多発性肺転移で余命半年と宣告されます。

抗がん剤の選択を拒む母と、できれば楽に母らしく笑いながら暮らさせてあげたいと思った私は、一か八か、私が最も信頼できると思えるものを総動員させた闘病計画をたて、二人三脚で取り組んでいきます。

その二ヵ月後、母の肺のがんが全て消えてなくなっているという奇跡のような現実を目の当たりにします。

そこからまた、振り返りの検証を行い、更に心身の取り扱い説明書の隙間を埋めていきました。

その後は、暫く、お声がけいただいた仕事に積極的に携わっていきます。

統合医療の病院スタッフや患者さんへの健康セミナー、個人でのご相談、NPO法人の健康新聞の記事の執筆などの活動を意欲的に行っていきました。

そして、ようやくまたここで、思いもよらず占いへと舞い戻っていくことになるのです。

 

 

それは、母のことが落ち着いてきた頃、また看護師へ戻りたくなった私が出向いたハローワークでの出会いでした。某占い館の募集に、面白い!これだ!と思った私は迷わず面接へ出向きます。

無事に入館テストに合格し、占い館の占い師として仕事に就くようになります。

しかし、時給と歩合で支払ってくれるとはいえ、駆け出しの占い師が単独の仕事でまとまった収入を得る事は難しいものでした。

当初の看護師への想いも捨てられずにいたため、病院ではなく、地域へ飛び込もうとケアマネジャーに転身して両立を図ることになります。

これが今に至る私のターニングポイントとなりました。

 

幼少時代には、まったく気付くことさえなかった先人達の深遠なる叡智がつまったタロット。私の心身で実際に学んできた智恵は、瞬間的に一致して統合されていきました。

そして、高齢者のお宅を訪問していく中で、元気なお年寄りが意識的に実行している食生活や運動、精神の持ち方、その反対の心持で生活するお年寄りの特徴を把握していきます。

それらが裏づけになるかのように、更に取り扱い説明書に追記され、より確固たる物へと変容していきました。

「私は、この揺ぎ無い、生きる智恵をタロットに乗せて、残りの半生を人々に伝えて生きたい。」あるとき、そうひらめきます。

ただ、まず集客力のない私には、何時までたっても、知人以外に届けられませんでした。そして、新たにネットでの集客方法を学ぶことを決意することになります。

SEOなどの知識を増やし、更に副収入を得るための情報をお伝えできるようにと、もくもくと検索しては独学し、実際に手がけては評価を繰り返しました。

 

どんな自分にもOKを出せ、自他共に許しあえる心持になれたら、どれほど生きやすくなるだろうか。

皆が経済的に豊かになりながら、軽くなる心の持ち方を多くの人が意識的に使えるようになれば、いじめや自殺などの悲惨な世の中が、すこしずつ変わっていくはず。

そういう希望を具体的に持つようになっていきました。

 

そのような中、平成30年4月、母の認知症が悪化し、一人暮らしは不可能と判断した私は、自宅へ呼び寄せ同居をはじめます。

ケアマネジャーの知識は最大限に生かされましたが、ここからまた、母を通して自分との激しい対話が始まります。

もっと奥底に眠る過去の残骸が浮かび上がります。暫く苦しみながら、自分とのそれとけりをつけていきました。

そしてようやく平成30年末、念願の『タロット占い師デビュー講座Ⅰ』を開講。

母を通して根深かった課題は解かれ、一気に活動が加速していきます。

 

私ひとりでできることは少ないけれど、多くの生徒さん達がこの心の持ち方をさらに多くのクライアントさんに伝えてくれたら、そのご家族や友人も幸せな人がどんどん連鎖して増えていくはず。

子育てや介護で自由を失った女性たちの生き甲斐を取り戻すために、自分がもっと自由に活動をしていきたい。

その思いは強く、平成とともに、これまでのパート勤務とネット集客で掛け持ちしていたタロット講座の両立生活にピリオドを打ちました。

活動の焦点を、在宅副業タロット講座一本に絞り、同じ目的を持つ仲間と、もっと遠くへこの思いを広げていこうと真剣に、そして揺ぎ無く思えるようになりました。

これが、今の私の思いの全てです。

 

 

ここまで長い長い私の話にお付き合いくださり、心から感謝いたします。

このような人生を歩んできた私だからこその役割を、喜びと共に生きています。

そして、あなたも勿論、あなただけにしかない役割を既に生きています。

もしも、まだ生きれていないと思うのならば、私にアクセスしてみてください。

散りばめられたピースが、ひとつの絵になっていることに、あらためて気付かれるかもしれません・・・*

 

これまでに学んできたセラピーや学問

 

(独学含む)

タロットカード占い

オラクルカード占い

西洋占星術

心理占星術

心理学(主にユング、アドラー)

コーチング

手相

数秘術

 

キネシオロジー・Oリング

シータヒーリング

ヒプノセラピー

タッピングセラピー

クウォンタムヒーリング

 

マクロビオティック

酵素栄養学

若石健康法足裏反射区療術

 

これまで経験した主な職歴

占い館タロット&オラクルカード&占星術 鑑定師

看護師

ケアマネジャー

医療事務

がん治療相談員(食事療法・心の持ち方・各専門医師及び専門家の紹介など)

ヒーリング&ボディセラピスト

(リフレクソロジー・ヒプノ・シータ・キネシオロジー等)

パワーストーンブレスレット製作販売(ネットショップ)

ビーズランプ製作販売(ネットショップ)

布ブローチ製作販売 (ネットショップ)

ヨーロッパ食器販売員

美容部員

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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